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DV被害者が激白!壮絶な四年半と今も続く後遺症【1】

裸の女性の胸元

近年DV(ドメスティックバイオレンス)は深刻な男女間の問題として大きく取り上げられています。DVは今では立派な犯罪ですが、被害者は自分が被害者である事に気付いていない人が多いので、世間に認識されている被害者数より実質の被害者数は遥かに多いのです。
 

DVの始まり

AさんがDV被害に遭っていたのは、DVという言葉がまだ世間に認識されていなかった1998年の秋からでした。Aさんは当時18歳、付き合い始めた彼氏は35歳。Aさんにとっては初めての彼氏でした。彼からの暴力が始まったのは付き合いだして二ヶ月ほど経った頃でした。
 
Aさんは彼と付き合う事になった日から軟禁状態にありました。最初は二泊ほどして帰る予定でした。大学もあるしバイトもありましたから帰らなくてはいけませんでした。しかし二泊して三日目の日、Aさんが帰るというと彼は帰らないで欲しいと言いました。
 
翌日からバイトが入っていました。Aさんが帰らないといけないと言うと彼は帰るなら別れると言います。Aさんにとっては初めて付き合う相手、そんな簡単に別れるものなのかすら分からない状態でした。別れるのが嫌で、Aさんは帰るのを辞めました。日が経ち、バイトも大学も辞める事になりました。
 
最初は何度か帰りたいと彼に言いました。まだ暴力が無かった頃は帰るなら別れるの一点張り、暴力が始まってからは一日動けない位殴られ、蹴られました。時間が経ち、暴力が日常的に行われるようになり、それでも暴力の後の彼の反省の態度と、優しさに自然と彼を許す気持ちになるのが不思議なDV被害者の特徴です。
 

DV被害者の加害者への気持ち

彼は無職でした。ある時彼は浮気して出て行った元カノに電話をしていて、内容が「生活には困らない」「お金が無くなればAさんの親が何とかしてくれる」と、それが当たり前かの様に話しているのを聞いて落胆しました。落胆しているのが彼に知られるとまた暴力。それなのに彼はAさんが居るから二人分生活費が必要になるから邪魔だとAさんを責める事もありました。
 
その頃Aさんの母親は良かれと思って服を送ったり、お金が無いと言われると娘が食べることが出来ないのを心配してお金を送ったりしていました。後に母親は良いと思ってやった事が全て裏目に出ていたと語ったそうです。
 
暴力も日に日に激しくなり、殴られる度に歯が折れていきました。Aさんは働きに行くことも、一人で外出する事も禁止されていました。ある日高校時代の友人から連絡があり、懐かしく話していると突然彼が不機嫌そうに家を出て行きました。慌てて電話を切り後を追いかけると、家の前で自分(彼)にしか構うなと言われました。友人との連絡も絶たれました。
 
その頃のAさんは、彼には親も兄弟も居ない天涯孤独な身である事から、彼には自分しか居ないんだと思っていました。私が居なければ彼は死んでしまうかもしれない、そんな気持ちがAさんが彼から離れられない理由になっていきました。三年の月日、Aさんは実家に帰ることを許されませんでした。
 

転機が訪れる

そんな時、偶然にもAさんの母親がバイクで事故をして入院したと連絡が入りました。どうしても母親の見舞いに行きたいと彼に懇願しました。彼は意外にもあっさり承諾してくれて、二人で母の入院先まで行きました。久しぶりに見た妹と弟の成長に感動しました。
 
帰り際にそっと妹がAさんに一万円札を握らせました。後にそれはAさんの帰宅費用だと妹が話していましたが当時のAさんには家に帰るという意思が薄れていました。帰れるとは到底思えなかったからです。
 
しばらく経ち、Aさんは一度帰った故郷が恋しくて仕方がありませんでした。そんな折、無断で住んでいた彼の元実家の地主に見つかり、使用料金を支払う契約をさせられましたが彼に支払い能力はありません。Aさんは母に住む所が無くなる事を相談しました。そして実家に引っ越す案が出ました。しかし彼は拒否しました。彼にとっては知らない土地。
 
それでも無理やり引越しの段取りをしました。Aさんは実家に帰りたい一心でした。勿論彼を説得するには相応の暴力にも耐えました。当日まで彼は拒絶し、一人で帰れと言われました。しかしAさんは彼を見捨てる事が出来ませんでした。やっとの思いで実家に帰った日、母はAさんと彼にスイカを出しました。
 
お金の無い生活は主食にしかお金を使えず、スイカのような果物は買う余裕がありません。しかもAさんと彼との食生活は、インスタントラーメンと具無しチャーハンのみでしたので、久しぶりのスイカに感動してあまり食べられませんでした。少し口に入れたスイカの味で久しぶりの安堵感を感じました。
 
 
【2】に続く